小説はうその世界でないといけない
谷崎潤一郎『刺青』
おすすめ度
おもしろさ ★★★★☆
読みやすさ ★★★★★
*「おもしろさ」は僕の独断と偏見による評価です。
「読みやすさ」は文体や必要な予備知識、本文の長さなどから評価しています。
*先に「【日本文学のすゝめ】#1」の記事を読むことをおすすめします。
耽美派の芸術性
自然主義vs反自然主義
冒頭、谷崎純一郎の言葉を引用しました。
「小説はうその世界でないといけない。」
前回、島崎藤村の『破戒』の紹介記事を書きましたが、その中で自然主義文学について軽く説明しました。
自然主義文学とは、人間の醜さや腐敗した社会の様子を、リアルに(自然に)描くものでした。
当時、自然主義文学は一大旋風を巻き起こし、文学界を席巻します。
一方、その他の勢力も黙っていません。
先ほど紹介した谷崎の言葉も、「何がリアルだ!何が人間の醜さだ!小説は自由であるべきだ!」という自然主義への敵意むき出しのセリフであると思います。(確証は全くありません)
要するに彼らは、文学という神聖な世界に、西洋思想や現実世界の風刺を持ち込まれることが許せなかったのです。
耽美派の芸術性
さて、本題の耽美派についてもう少し詳しく話しましょう。
耽美派は、
女性の美を芸術レベルまで引き上げました。
あまりピンと来ないと思います。
明治や大正時代は、今よりも何かにつけておおらかでした。温泉も混浴が一般的であったりと、女性の肌に対する特別な意識が薄かったのです。
特別でないものを普通に小説にしても、芸術にはなりません。
しかし彼らは、繊細な言葉遣いを用いて、美を芸術へと引き上げることに成功した、つまり当時の男どもを、女性の美に対して一目置かせることに成功したのです。
谷崎の有名な作品『痴人の愛』を見てみましょう。
私がいるとわざと着物を着換えたり、着替える拍子にずるりと襦袢を滑り落として、
「あら」
と云いながら、両手で裸体の肩を隠して隣りの部屋へ逃げ込んだり、一と風呂浴びて帰って来て、鏡台の前で肌を脱ぎかけ、そして始めて気が付いたように、
「あら、譲治さん、そんな所にいちゃいけないわ、彼方へ行ってらっしゃいよ」
と、私を追い立てたりするのでした。
当時、人前で裸を見せることに寛容な女性に慣れていた男性たちからすると、谷崎が描いたナオミの妖艶なチラリズムは衝撃的だったはずです。
「あれ、女性って、こんなに魅力的だったっけ?あれッ?」
となったわけですね。
そんな形で耽美派は、女性の美の価値をぐんぐん引き上げていきました。
谷崎の作風はしばしば、「女性の美に跪く(ひざまずく)」と評価されます。
耽美派の作品を読むことは、日本の美や性に対する意識の変革の瞬間を体感することにつながります(大袈裟)。
圧倒的な読みやすさ『刺青』
さあ、ようやく『刺青』の紹介に入ります。
近代文学を読み始めるにあたって『刺青』は非常におすすめ。理由は以下の通り。
- 現代的な感覚で読んでも普通に面白い。
- 少しの予備知識(この記事で十分)で深い考察ができる。
- ページ数が少ない。
特に3点目。十数ページしかないので5分で読み終われます。
新潮文庫から短編集の体裁でも出版されていますが、文鳥文庫にもなっているのでそちらのほうが手軽に読めるかと思います。
清吉という腕の良い彫り師(刺青を彫る人)が、自分の最高の刺青を施すべき女性の体を求める話。
注目ポイントは「女性の肌の奥底に秘められた美」です。
清吉は目当ての女性を見つけますが、果たしてその女性の奥から、いったいどんなとんでもない魅力が飛び出してくるのか。覚悟して見届けてください。