【日本文学のすゝめ】 #3 島崎藤村 『破戒』
ー我は部落の民なり。ー
島崎藤村 『破戒』
おすすめ度
面白さ ★★★☆☆
読みやすさ ★★☆☆☆
※「面白さ」は僕の独断と偏見による評価です。読みやすさは文体や必要な予備知識、物語の長さなどから評価しています。
※先に【日本文学のすゝめ】#1の記事を読むことをお勧めします。
すべての日本人が読むべき、自然主義文学の最高傑作
部落差別
おはようございます。森見登美彦は「大学生は赤ん坊の次によく眠る生き物である。」と称していましたが、まさしくその通り。よく寝ました。よく寝て、起きてみたところ、どうやら台風5号が目と鼻の先まで接近しているらしく、午後の予定がことごとくなくなっていました。仕方がないので記事を書きます。
ところで、みなさんは部落差別という言葉についてどのくらいご存じでしょうか。
中学校の社会の授業を思い出してください。
江戸時代、士農工商という身分制度がありました。その中には、穢多(えた)、非人(ひにん)と呼ばれる身分の著しく低い人たちがいました。
明治に入ると四民平等が呼び掛けられ、士農工商関係なく、平民という身分になり、穢多、非人の人たちも平民に入りました。
しかし、事は簡単には解決しません。
もともとある程度の身分を持っていた人は、自分が元賤民と同じ身分に区分されることが耐えられません。
そこで、元賤民は「新平民」として平民と区別をされ、就ける職業は限られ、周囲からは引き続き蔑まれ続けます。
四民平等では、差別は全く解消されなかったのです。
その後、日本政府や民間の働きにより、部落差別は沈静化しました。
あくまで僕の周囲に関してですが、そのような差別の実情は見受けられないし、どの人がどんな身分の出身の人だ、というような話も聞いたことはありません。
しかし、部落差別は完全に消滅したというわけではなく、一部の地域や、人々の心の中には根強く残っているそうです。
近代自然主義文学の最高傑作
『破戒』を読む前に、自然主義文学の何たるかを知っておいてください。
自然主義は、西洋で生まれました。
人間の醜さや腐敗した社会の現状をありのまま(自然)に描く。
それが自然主義です。したがって、暗い雰囲気を持った作品であると称されることが多いです。
『破戒』のテーマは部落差別。上で紹介した通り、賤しい身分の者に対する差別。日本全体に蔓延した大きな闇を描いた作品です。
読んだ方は分かると思いますが、これがノンフィクションであるとは到底思えません。フィクションであっても不謹慎として書くのがためらわれるような差別が平気で書き綴られています。
衝撃的だったのは学校での場面。部落出身の生徒は孤独に過ごしています。周りの生徒は彼と一切の関わりを持ちません。嫌がらせではありません。悪気があるわけでもありません。部落の者と関わりを持たないことは彼らにとって当たり前のことなのです。
教員も例外ではありません。部落出身の生徒が仲間外れにされていることに関して教員も一切言及しません。それどころか当然のように部落出身の生徒と関わることを避けます。
読み進めることがしんどい描写でした。壮絶でした。
物語のあらすじはあえて書きません。
友情あり、恋愛あり、師弟関係ありで、情熱に溢れた優れた作品です。
しかし、この作品のもっとも優れた箇所は、場面一つ一つにへばりついた闇の深さです。さらっとしたあらすじでは、その重苦しさを表現できません。
かつての日本で実際にあった、リアルな差別の実情です。日本人として、読んでおく必要のある作品であると思います。
(おまけ)あの話、この話
今回も、本書を読み終えた方向けに少し書きます。
ストーリーのラストを、僕は複雑な思いで読み進めました。
というのも、身分が明るみになり、今までの生活を捨てなければならなくなった丑松ですが、銀之助はじめ、多くの人の優しさに触れます。お志保とも、その後どうなったかはわかりませんが、二人が結ばれていくような伏線すら見られます。何より、終盤のお志保の言葉には現代の人権感覚にもつながるものがありました。
生い立ちがどうの、かうのッて、そんなことよりも毅然(しっかり)した方の方が、あんな口先ばかりの方よりは餘程(よほど)好いぢゃ御座いませんか。
*手持ちの版が古いので、今と表記が異なると思います。
生い立ちに負けず、地道な努力を積み上げてきた丑松の生き様が周囲に認められていて、言いようもない感動を覚えますが、複雑です。
何がかというと、「これは部落差別のリアルなのか?」と思ってしまったのです。
それまでの悲惨な差別の現状からして、このラストは甘っちょろいんではないかと。
あくまでも、どうなんだろうか、という感想が頭をよぎっただけで、個人的には『破戒』のラストは温かみと力強さがあって好きです。